今、おいしい、きもちいい
救荒食

救荒食

今季初の火入れ。
あったか~い(ノ*’ω’*)ノ~~~~💖
これこれ、この暖かさが最高にオーガズミックなのだ。
薪ストーブさん、今年もお世話になります。

ところで先日、楢山節考の映画を見たのだ。姥捨て山の話。
昔を美化する人が多いのだけど、赤ん坊の間引きはもちろんのこと、老人を山に捨てに行くという風習が本当にあったかもしれない、貧しかった日本の山村の食事情がどうだったのか、ちょっと気になって調べてみました。
岩手県立農業ふれあい公園・農業科学博物館のページに、飢饉の歴史と食べ物について書かれていたのでご紹介。

命を救った食べ物

旧藩時代から明治~昭和の戦前まで、農村部では白米だけの食事は晴食はれしょくのときなどに限られ、日常的には、量の不足を補うために米にムギ・大豆・根・海草などを混ぜて炊いた「かて(糧)飯」が主体でした。

 大正7年に内務省が行った全国主食物調査では、岩手県の村落部では「米・麦・粟あわ・稗ひえヲ主食トシ大根カテヲ四季用イル地方ト、特ニ冬季間麦ノ代用ニ用ウル所トアル。米・栗・稗・麦ニ蕪かぶ・大角豆ささげヲ入レタ粥がゆ」と記されています。町の商家でも昭和期まででも麦かてが普通の食生活でした。    
かてには麦、粟あわ、稗ひえなどの穀物の他、大根や海草のめのこが用いられていました。 

 それでは、凶作の年はどのような物を食べたのでしょうか。作物の生育期間の低温や日照不足によって不作となる凶作年は、米だけが不作となるのではなく、麦や稗などの他の穀物も不作となることが多くありました。こうした場合に備えて、家毎に蕎麦そばや稗ひえ、干し大根などを井楼いろう(大箱)や梁上りょうじょう(まげ、焚き火の上)に貯蔵し、凶作時の備えをしていました。

 食料が不足した初期の段階では、まず備蓄を取り崩したり、増量(かて飯)による穀物の節約、家畜飼料の食用化、ダイコンなどの緊急増反などで、食い延ばしを図りました。さらに食料が欠乏し、かて飯も食べられなくなる中期段階になると、ふすまやぬか、カボチャなどの葉、木の実や山菜などで飢えをしのぎました。厳しい冬を何とか乗り越えても、次の年の蕎麦そばや大根などの作物が収穫できるまでの春先から夏にかけてが最もつらい期間となり、山菜や野草のほか、末期段階では食べられるものは何でも採取し、松の皮やウルシの実までも食べて命をつなぎました。

うわわ~、松の皮ってスゴイ! 
リンク先には救荒食(飢饉のときの非常食)の食べ方が簡単に記されています。
そして藁餅なんてものもあったらしい。レシピはこう。

まず、藁を半日水につけてアクを出し、砂をよく洗い落とす。細かく切り刻み、蒸して干した後、炒って臼で粉にする。その粉末一升と米粉2合をあわせ、水で捏ね、蒸して餅状にする。

どっひゃ~!
それでも口にカスが残るらしい。
そりゃそーだ。繊維が硬い藁だもん。

もう、泣けてくるでしょ?
小氷期の江戸時代に生まれなくて良かった~。

今日の私の摂取カロリーは1231kcalでした。

Today’s Menu Nov 11, 2020


ナイトドリンク
  • ココア 200ml
ブレックファースト
  • 柿 187g
  • 洋梨 184g
  • バナナ 229g
  • チーズフォンデュ(40%食べました)
    • ゴーダチーズ 120g
    • クリ-ムチーズ 80g
    • チェダーチーズ 60g
    • 無添加白ワイン 70ml
    • *ニンニク 2g
    • ナツメグ 0.4g

コクトーX DEWS

スナック
  • 自家焙煎コーヒー グアテマラ ウエウエテナンゴ 430ml
  • 赤糖 12g
  • 全粉乳 12g

Spread the orgasmic life
  •  
  •  
  •  
  •  

********************************************************************

みんなが自分を幸せにすれば、みんな幸せになる。
好きなものだけ、思いっきり、食べると健康になる奇跡。
あなたも始めませんか、オーガズミック・ダイエット。

********************************************************************