Lion Castle
廿六夜待🌘

廿六夜待🌘

DIYのために電気工事士の資格を取ることにしたマニアックなダーリン。
松本で試験を受けるついでに、国宝 松本城を見学しちゃおう。

平日の12時だというのに、観光客がいっぱいー。
外人さんがめっちゃ多いのだ。

 


お堀の手前から眺めた松本城天守。
あれれ?
よく見ると屋根に人がいる・・・

漆の塗替え工事中だってー!(›´ω`‹ )
正面から見たら月見櫓が白いシートで覆われてるじゃないの。

4階だったか2階だったか忘れたけど、武者窓の竪格子を一本外した隙間から、漆の入った容器を持った作業員さんがにゅ~っと入ってきたところに遭遇したのだ。
あんな風に取り外しできるようになっているのね。
工事中じゃないと見れない風景なのだ、ラッキー🌟

 


最上階の東側の窓から美ヶ原高原の王ヶ鼻(標高2008m)が見えるはずなんだけど、この日は雲の中。
Lion Castle もここのところ毎日雲の中。

 


最上階の井桁梁の上に祀られている神様は二十六夜神。
あんなところにあったら気が付かない人もいるんじゃない?

ところで、二十六夜神って、なに??? 初めて聞いた名前だぞ?

実は、いろいろと見学しに行くくせに、神社・仏閣・遺跡の類は好きでない。
だからいつも事前学習はほぼゼロ。
毎度、見てから興味が湧いて調べてみたら面白いことがわかっちゃったり、この世の真実につながっちゃったり・・・
どうせ調べるなら事前に調べろー( ゚∀゚)・∵ブハッ!!

 

 

元和3年(1617)松本に入封した戸田氏が祀ったとされる。月齢26日の月を拝む信仰。戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたという。関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されている。

 

松本城のHPにこう書かれていたので、調べてみたところ、江戸時代には、日本全国で月待行事が行われていたらしい。今でも残る十五夜と後の月(十三夜)のお月見だけじゃなくて、地域によっていろいろで、十三、十四、十五、十六、十七、十八、十九、二十、二十一、二十二、二十三、二十五、そして二十六夜・・・って、十三からほぼ毎日じゃんっ!
そしてこの二十六夜の月は深夜、明け方近くに昇ってくる月だったので、夜通し飲めや歌えのどんちゃん騒ぎで賑やかに待ったらしい。
騒いでないと眠くなっちゃうもんね。( ゚∀゚)・∵ブハッ!!

 

 江戸時代には、旧暦の1月と7月の26日の夜に、月の出るのを待って拝む行事を二十六夜待といいました。この日の夜半すぎに出る月は、出る間際の光が三つに分かれ、瞬時にまた一つになるように見え、その光の中に阿弥陀・観音・勢至(せいし)の三尊の姿が見えるといわれ、これを拝むと幸運が得られるという信仰が古くからありました。1月は寒いので、7月の二十六夜待が、江戸を中心に盛んに行われました。

 江戸では、月の出を拝むことのできる海岸や高台に人々が集まり、中でも高輪や品川の海岸は多くの人で賑わい、料理屋は繁盛し、路上には酒食の屋台が並び、歌舞音曲などの催しも行われました。
 『江戸名所図会』(1834)にも「高輪海辺七月二十六夜待」としてその光景が描かれていますが、この行事は天保の改革以降は規制を受けてめっきり衰えたといいます。

 

こんなに大々的な行事だったのに、派手を禁じた天保の改革でギュギュッとやられて以降、廃れてしまったのだそうな。
その後、明治の改暦は致命的だったよねぇ。

江戸の二十六夜待の様子は浮世絵にたくさん残っているみたい。

 

歌川広重『東都名所高輪廿六夜待遊興之図』

こんな風習があったなんてちっとも知らなかった。
で、益々ゴイちゃんの妄想癖にウンザリするわけ。
だって、こんなに大々的に日本全国で行われていた月待信仰も、廃れちゃえばその存在すら忘れ去られちゃう。
絶対にやらなくちゃいけないと思い込んでいた風習は、ほとんど無意味なことだったりするのだ。

でもって、次回の旧暦7月26日は、2025年9月17日。
来年の二十六夜待、お月さまが出るまで起きてられるかな~?

 


天守最上階の窓から乾小天守の屋根を見下ろすとハトさんがまったりしていた。

400年以上も前につくられた松本城は、大政奉還までの270年間に、なんと、城主が23人も入れ替わったのだそうな。
ゴイちゃんたちのドロドロ想念が淀んでる、ペインボディーの渦巻く城よ~。
ヤダわ~。(›´ω`‹ )

 


それなのに、この後、江戸時代後期から昭和にかけて建てられた5棟の歴史的建造物を展示した松本市歴史の里にも行ってみた。
メインは重要文化財の旧松本区裁判所庁舎
私が中学校に入学した当時、木造のめっちゃ古い校舎が残っていて、まさにこんな感じだったな~。
ちょっと懐かしいかも。( ゚∀゚)・∵ブハッ!!

そして旧松本少年刑務所なんかもあって、なんと、平成2年まで使用された独居房棟の一部を移築したそうなのだ。
中は結構なペインボディーが漂ってる。
絶対に写真は撮りたくない。ムリ!

 


写真右上のコスモスの後ろの建物は、これまたビックリな旧昭和興業製糸場。な、なんと、こんな設備で平成7年まで操業していたのだとか!
大河ドラマ『花燃ゆ』のロケ地でもあるらしい。

写真左の古民家は工女宿宝来屋を移築したもの。江戸時代後期から野麦峠のふもとにあった宿で、明治から大正にかけては飛騨地方から諏訪・岡谷の製糸工場へ向かう工女たちが大勢宿泊したらしい。多いときは100人超えの女子たちが、この囲炉裏端で雑魚寝したんだって!

昔は良かったって妄想してる人がたくさんいるけど、こういうのを知っても本当に良かったと思えるのかな?
謎だわー。

ついでに歴史の里に隣接した日本浮世絵博物館も見学。
江戸のおいしいもの展をやっていて、そこで歌川広重の浮世絵を観たのだ。

あれ? 高輪の二十六夜待の絵も広重だわ。
ちゃんとつながった~🎉

 

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