
チンポを入れてこそ愛である
ポイ活の関係でNetFlixのサブスクを体験してみた。オリジナルのドラマもたくさんあり、地上波テレビのドラマよりも(規制が緩いせいなのだろう)質が高い。それでこの1-3月期はカレントのテレビドラマを一つも見てない。ポイ活でトライアルして本当に価値があると感じるサービスは滅多にないが、NetFlixの月額890円は安いかもしれないと感じている。そうはいっても、読む本もたくさんあるし、アマゾンプライムもポイ活のミッションで契約したし、時間が限られるので、ずっと継続するのもお金の無駄だ。断続的継続(笑)が良いのではないかと思う。
それはともかく、だいぶ前から興味をそそられていた「夫のちんぽが入らない」というドラマをNetFlixで見ることができたので、そのレビューを書いておきたいと思った。結論から先にいえば、これは刺激的なタイトルで観客を動員する詐欺作品だ。
タイトルから生じる最大の疑問は「なぜチンポが入らないのか?」であるが、その解明が最後までなされず、モヤモヤのまま放置される。この作品は実話に基づいているという触れ込みだったので、リアリティを求めて私は見ていたのだが、そこの答をあいまいにしたまま放置されると騙された気分になる。それに「チンポが入らない」というタイトルからして、コメディタッチの作品を期待していたのだが、笑えるシーンはほとんどなく、基本的にシリアスでダークな内容だ。コメディならリアリティに欠けても笑えれば許されるが、シリアスでダークなのにリアリティがないのは最悪である。
大筋は、学生時代に知り合ったカップルがセックス(挿入)できないまま結婚し、20年経ってもまだ性交に成功しないという話だ。愛情が冷え切った夫婦というわけではなく、互いに愛し合っていて、セックスにも積極的なのに挿入できないという設定である。どうやら夫(研一)のチンポが大きすぎるのが原因というにおわせもあるのだが、研一は性欲のはけ口を求めてソープランドに頻繁に通い、しかも同じソープ嬢を指名することはないと言っている。つまり、たくさんのソープ嬢を経験しているわけだが、特に問題なく挿入できており、ソープ嬢から異常に大きいと指摘されたというくだりもない。セックスに支障があるほど極端に巨大なチンポではないわけだ。では妻(久美子)のほうが狭すぎるのかといえば、久美子のほうも大学に入る前にゆきずりの関係で処女を喪失しており、結婚後も、仕事や夫との関係で精神的に弱り、出会い系サイトで出会った数えきれないほどの男と次々にセックスする。それだけ多くの相手と経験して挿入に問題ないわけだ。つまり、研一も久美子も性器は正常である。それでも、互いが相手のときだけ挿入できず、無理をして挿入しようとすると大量に出血したりする。そこには血族の因縁が働いているのかもしれないという謎展開もあるが、そこをどうやら解消できても、やはり挿入できない。8話になっても9話になっても、本当の原因がわからない。このまま最終回までうやむやにされるのかと危惧していたら、その通りになった。
愛し合っていて、性欲も正常なのに、なぜか身体的にうまくいかないわけだ。女性器は出産できるぐらい柔軟に拡張するのだから、しっかり前戯をして体の準備ができていれば、よほどの奇形的な巨大さでない限り、チンポのサイズは問題にならない。それでも身体的にセックスがうまくいかないのであれば、普通は医者やカウンセラーに相談に行くだろう。それに大量に出血するとなると、セックスの問題だけでなく、命にかかわる疾患の可能性もある。夫婦とも学校の先生をしているぐらいで正常な知能はあるわけだから、なぜすぐに医師の診断を受けようという発想にならないのか極めて謎であり、そこがリアリティに欠けている。子どもがほしくなって医者に行くシーンもあるのだが、なぜか外性器の診断をすっとばして、生殖機能(卵巣や子宮)の診断になっている。いやいや、そこじゃなくて、膣の問題でしょと、つっこみたくなったが、つっこめないわけだ。医者に診断してもらえば、治るかどうかはともかく原因ぐらいは明確になるだろう。その原因を明確にしないまま、20年も悩み続けるのはあまりにも愚かだ。
「セックスと愛は関係ない」「セックスのない夫婦があってもいい」といったセリフが印象的で、どうやらこのドラマはセックスと愛を切り離したいらしい。それでも結婚と愛はセットなわけだ。いやいやいや、そこは違う。もともと結婚と愛は関係なく、セックスこそが愛である。
結婚は、本来、家と家との実利を求めた結びつき(同盟)であり、男女の個人的な恋愛感情とは関係ない。その証拠に、一昔前には見合い結婚が主流だったし、数世代さかのぼれば結婚相手は親が決めるのが普通だったわけだ。今でこそ結婚はぜいたく品であるが、昔は結婚はサバイバルのための必需品、つまり、経済的な必要性から行っていたもので、愛は無関係だった。家畜の牛馬をメイティングさせるのと同じで、結婚は、なによりも生殖して家系を絶やさないためにあった。個人の幸福ではなく、家という組織の存続のための制度だ。生殖のためだけの家と家の結婚と男女の個人と個人の恋愛というまったく異質なものがなぜかクロスオーバーするポイントがセックス(ちんぽの挿入)であった。その歴史的経緯からして、結婚はするけどセックスしないというのは、とてつもなくナンセンスなのだ。
いま崩すべきは、「夫婦はセックスするもの」という固定観念ではなく、「愛し合えば結婚するもの」という固定観念のほうだ。昔はともかく、現代において結婚とは何かとあらためて考えてみれば、非常に狭く具体的に定義するなら、婚姻届を出すことだ。市役所に書類を出して戸籍を書き換える手続きである。ちなみに婚姻届も離婚届も、銀行口座の開設よりも本人確認が甘く簡単である。戸籍というものは、もともと徴税や徴兵のために権力者に都合がよいから作られたもので、その戸籍を伝統文化と称して必死になって守りたがるのは奴隷根性が身体に染みこみすぎて自分が奴隷であることを忘れているバカの証拠だ。
それで、婚姻届を出して法的に夫婦関係になると何が違うのかといえば、真っ先に思い浮かぶのが税金だ。夫婦であれば、片方が死んでも、相続税が大幅に免除される(たとえば夫名義の住居を妻が非課税で相続できる)。所得税の配偶者控除もある(事実上の婚姻関係も認められるので厳密には戸籍は関係ないが)。他にも、スマホで家族割引が受けられるとか、会社から家族手当が支給されるとか、戸籍上で夫婦になると社会システム上でいろいろ優遇がある。
もう一つ大事なのは、夫婦関係があれば、他の異性と性的関係を持つと、浮気とか不倫とかに該当することになり、社会的に非難され、法的にも裁判で慰謝料を請求できるようになる。
こういった実際に利害の違いがいろいろ生じるから、同性カップルでも結婚を認めてほしいという話になるわけで、その事情と気持ちは私も十分に理解できる。しかし、それは逆だと思うのだ。同性の婚姻を認めるのではなく、婚姻制度自体をなくすべきなのだ。
いまどきの若い人でも結婚にこだわる場合は、結婚が愛の証だと信じていることが多いのだろうと思う。愛の証とは、性的に排他的な関係を結ぶこととも言い換えられるが、要するに浮気しないということだ。「あなただけを愛します」ということだ。それを口約束ではおぼつかないので、たくさんの人を呼んで結婚式を挙げて皆の前で誓約し、市役所に書類で届け出ておけば、だいぶ安心できるというわけだ。
結婚=愛という現代的妄想である。その妄想が従来は、「結婚=愛=セックス=子作り」というふうに連結していた。ドラマ「夫のチンポがはいらない」は、この結合のうち、「愛=セックス」を分離しようという試みだろう。余談だが、これは世界支配層のグローバルアジェンダとも合致しているので、マスメディア(フジテレビ)的にもプロモーションしたのだろうと思う。
私が何よりも疑問なのは、愛の証をなぜ市役所に任せるのか?ということだ。市役所に届けないと不安なぐらい浮気する心配のある相手のことを本当に愛していると言えるのだろうか。愛とか信頼関係とかいうのは、きわめて個人的な性質であって、そこに行政が入り込む余地はないし、裁判所が介入すべきでないと、私は考えるのである。実際、結婚しても浮気している人はおおぜいいるわけで、結婚することで浮気が防止できるわけではない。婚姻届とか戸籍とか世帯とかいった概念は廃止して、個人単位で出生したときに住民登録し、そこに父親と母親を記載するだけでいいと思う。たしかアメリカはそうなっていると聞いたことがある。世界的には戸籍がある国が逆に珍しいのだとか。まあ、キリスト教徒は教会で神に誓うから戸籍は要らないというわけだろう。日本では市役所(お上)の戸籍係が神の役割を果たしているわけだ(笑)。
「夫婦=セックスするもの」という既成概念を崩したいのであれば、結婚制度そのものを疑問視すべきなのに、結婚(夫婦)という概念はそのまま維持したいというのが、私には意味不明すぎる。今、崩すべきは結婚という概念にしばられることだ。戸籍そのものがなくなれば、たったいま高市がTACOっている夫婦別姓の議論も不要になる。同性だけど別姓の夫婦なんです、なんてギャグは面白くない。
もしも「愛=セックス」ではないのなら、「あなただけを愛します」という誓約は具体的に何を意味することになるのか。男から「あなただけを愛しています。そして、いろんな女のヴァギナに挿入します」と言われて愛を感じるだろうか。女から「あなただけを愛しています。そして、いろんな男のちんぽを受け入れます」と言われて愛を感じるだろうか。
生殖の仕組み的に男ならいろんな女に挿入したいという願望があるほうがむしろ正常であり合理的だ。女にも性欲はあるのだから、違うちんぽを味わってみたいと思うこともあるだろう。もし愛の誓約に意味があるとすれば、そうした願望を抑制して、一人の相手に限定できるかどうかである。つまり、本当の愛とは、「あなたにしか挿入しません」「あなた以外のちんぽは受け入れません」ということで証明できることになる。愛とは執着であり、独占だからだ。そして、セックスの相手を自分だけが独り占めできている事実に、自分だけが愛されていることを実感できるのではなかろうか。言葉はいくらでも美しく飾ることができるが、身体的行動(挿入するかしないか)は(隠すことは可能でも)事実そのものである。身体的行動を制約するからこそ、誓約に意味が生じ、愛の証明にもなるのだ。
久美子は母親との関係から自分が愛されているという実感を持つことができずに成長した。それで、ゆきずりの男のちんぽは入っても、本当に愛している研一のちんぽだけは入らない。これがおそらく作者の意図するちんぽが入らない本当の理由なのだろう。それは愛着障害、精神疾患の問題であり、ちんぽを挿入しなくても愛は成り立つという話と混線させないでほしかったと思う。
(追記)NetFlixといえば、AV監督村西とおるの人生を描いた「全裸監督」はとても面白い。村西がいかにデタラメでひどい人物であるかわかる(山田孝之の演技はすばらしい)。黒木香を演じた森田望智もすばらしい演技で本物以上に黒木香だった。黒木香を主人公にすればもっとよかったかもしれない。

1967年、広島県生まれ。将来の夢は、熱帯の高原に移住し、牛と果樹に囲まれて暮らすこと。
2009年に遺伝子組み換え食品を排除する決意をして以来、玄米菜食、ローファット・ローヴィーガン(80/10/10ダイエット)を経て、2017年に草食動物の肉とフルーツの生食を基本とする「フレッシュ・ダイエット」を着想する。2018年にはチーズを主食として採用し、現在の「オーガズミック・ダイエット」の形態に至る。自らの体で実証しながら、草のタネ(デンプン、植物油、大豆タンパクなど)さえ食べなければ、「おいしい」=健康(適正体重)=「きもちいい」がすべて矛盾することなくつながることを発見した。この「食」という人間の生活の根本における発見は、栄養学に革命をもたらすだけでなく、穀物生産を基盤とした過去数千年の人類社会の在り方を根底から変える可能性を秘めている。
人類よ、氷河期の眠りから覚めよ! もう草のタネを食べなくてもいいのだ!
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みんなが自分を幸せにすれば、みんな幸せになる。
好きなものだけ、思いっきり、食べると健康になる奇跡。
あなたも始めませんか、オーガズミック・ダイエット。
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